親と私の終活の話、時々自分語り

親が終活を始めたために悪戦苦闘する娘の話です。葬儀社のこと等、あまり表に出ないことについて書いてみようと思います。

帰省中の話

葬儀社から続々と届く見積もりに頭を抱えながら、それでもしっかり確認している日々です、おはようございます。

母のことは、パッと見て分かる見た目の変化もショックでしたが、何より1日の大半を寝て過ごす様子に心が痛みました。
昔は常にパッパッと動く母でしたが、買い物に出かけてみると私が相当歩みを緩めてもなお母のほうが遅いのです。
私と大して変わらなかった身長もおそらく5センチ以上は縮んでいます。洋服や靴がサイズ合わなくなったんだよ、全部ガバガバでさ、と寂しそうに笑う姿には言葉を失いました。
ありとあらゆるところで母の老いを実感する日々。私達の8年と母にとっての8年は違ったのだと思い知らされました。私と息子たちでさえ時間の流れは違います。母の年齢であればなおさらだったのです。何事もなく過ごしてきたからたかが8年と思っていましたが、されど8年だったのです。
それでも気が強いのと口が達者なのは変わらず、母子家庭でそれなりに問題を抱えながら生活している私や息子達のことにあれやこれやと口を出してくるのには参りましたが、若い頃よりは角が取れたのでしょうか、一般の人にも理解が難しい話をしてもなんだかんだと聞いてくれ、最終的には私の意見に「そうだよね」と同意してくれることがほとんどでした。こんな人だったかなと首をひねりながら会話をしましたが、そもそも私には母とまともに会話をした記憶がほぼないのでした。
元来気の強いことと、アルコール依存症で酒が入ると暴言、暴力のひどかった母は近所のありとあらゆる酒屋からも出禁にされるほどでした。
私にとっての過去の母は常にお酒が入った状態で、家で素面の時間は朝の出勤前くらいしかありません。帰宅すればすぐお酒をあおる母は会話になる相手ではありませんでした。酔った母と会話をした覚えはあっても、素面の母と会話をした覚えはありません。アダルトチルドレン特有の解離性障害のせいもあるのでしょうが、素面の母をほとんど覚えていないのです。
今になってこうして穏やかに会話をしていることに大きな違和感を抱えつつ、「昔からこうであってくれたら」と思わずにはいられませんでした。
8年より前から体調が悪いと言って既にアルコールを絶っていた母でしたが、こうしてしっかり話ができることにやはり違和感というか不思議な感覚に包まれながらも話はやはり終活のこと。葬儀のこと、お墓のこと。
頻繁に実家に帰れる距離ではない私は大急ぎでネットで終活について調べ、墓はまだ後回しにできる、「とにかく葬儀で慌てたくない」という結論に達し、インターネットでは「格安」「優良」という触れ込みで有名であった某所に資料請求をし、母に渡したのでした。突然の終活の話で慌てていたとは言え、それが大間違いだとも知らずに。