親と私の終活の話、時々自分語り

親が終活を始めたために悪戦苦闘する娘の話です。葬儀社のこと等、あまり表に出ないことについて書いてみようと思います。

厳しい目

はてなスター、ログインしてあるのに押せないのは何故なんでしょうか。ずっと「ログインしてください」って小窓が出るんですが。アプリのほうは反応してくれるのでWEBからだとできないのかもしれません。


さて、特段親しいと言える子もいないし、おそらく私のことをはっきり嫌っている子もいるなとうっすら感じながらも、かと言って全く一人ぼっちというわけでもなく、なんだかんだ穏やかに過ごしていた学校生活、思わぬところに敵はいました。教師です。

今でこそ母子家庭というのは珍しくありません。ですが私の頃は学年に一人二人いるかどうかという希少な存在。

はっきりと偏見の目を向けられたのは小学4年生の担任が初めてです。当初受け持ってくれた教師が骨折のため退任し、代わりに来た教師でした。ある時言われました、「母子家庭の子だからねえ」と顔を歪めて。

4年生にもなってクラスに馴染めてもいない、どこか浮いている私が目障りだったのかもしれません。

なるほど、母子家庭というのは差別の対象なのか。私のように人嫌いになってしまってクラスに馴染めない子供は邪魔なのか。大人というのはその差別感情を隠そうともしないのか。冷静にそう思ったものです。とはいえ、傷つかない言葉ではありません。

私は自分の意思で母子家庭で育っているわけではない、好きで虐待する母と二人で暮らしているわけではない。心の中では反論しましたが、言うだけ無駄な人種なのだろうと判断し黙りました。虐待を受けてきて、下手に駆け足で大人になってしまおうとしている最中にいた私には、目の前にいる教師が随分と愚鈍に見えたものです。「母子家庭なんかで育っているこいつに言ってやった」と踏ん反り返っている教師の姿は滑稽にうつりました。

母子家庭ということで差別をしてきた教師は6年生の担任もでした。もう定年間近の教師でしたが、「まだこういうの、いるのか」と思っただけで、もはや相手にする気もありませんでした。

子供同士の関わりだけで手一杯だった私には、理性的に立ち振る舞えるはずの大人の子供っぽい言動に付き合うことは不可能でした。慇懃無礼というのはこういう態度なんだろう、という扱いを教師から受けましたが、家に帰れば虐待で、学校では浮いていた私にはそんな教師を気にとめる余裕などなかったのです。

唯一の救いは、そんなゴミのような教師たちの間にいた5年生の時の担任が素晴らしい人間性の方であったことですか。2年生の時の担任と同じくらいに守ってくださいました。とにかく褒めて伸ばす姿勢で、5年生の時だけ習字が異様に上手くなったことを覚えています。よく褒められたものです。

今でも恩師と呼べるのは、2年生の担任と5年生の担任です。

教職を退いた後に政治の世界に入った5年生の担任は訃報が新聞に載りました。中学生の頃にたまたま本屋で再会したのが最期になりましたが、会えて良かったと思います。2年の時の担任はどうなさっているのか知る術もありませんが、幸せに過ごされていることを祈っています。