親と私の終活の話、時々自分語り

親が終活を始めたために悪戦苦闘する娘の話です。葬儀社のこと等、あまり表に出ないことについて書いてみようと思います。

悪魔

高校に入学して、人見知りなりにさて頑張るかと思っていました。クラスに中学時代のクラスメートを見つけ、嬉しくて話しかけました。返ってきたのは、汚いものを見るような目と反応。訳が分かりませんでしたが、きっと彼女(今後斎藤と書きます)は以前から私のことを嫌っていたのでしょう。中学時代の「みんな仲良し」の雰囲気の中では言い出せなかったのでしょう。

寂しかったですが、嫌われることには慣れていました。それほど斎藤に思い入れもありませんでした。仕方ないと諦めました。ただ、それでは済まなかった。

後に知ることになりますが、斎藤は入学してすぐに「あいつは黒魔術をやっている」「変わり者」「頭がおかしい」などと言いふらしていたそうです。黒魔術って。何を幼稚な。一笑に付しましたが、それを面白がったのか、本気で信じたのか、斎藤の話を聞いて私を避けているクラスメートにも呆れ果てました。

嫌いだと言いながら、その嫌っている相手の話題を延々としている姿は滑稽でした。こちらを見ながらニヤニヤ笑ってはコソコソと何かを話す姿は不愉快ではありましたが、「結局、私に興味あるのかい?」と大変不思議な気持ちになったものです。

こうして入学後すぐに無視と陰口という虐めが始まったわけです。暴力こそなかったものの3年間にわたる陰湿な虐めは、元々母からの虐待で壊れていたメンタルにとどめを刺すものでした。私にとっての斎藤は悪魔そのものでした。未だ忘れようとしても恨みすぎて忘れられない存在です。

2年生でのクラス替えで、物好きな子が私と仲良くしてくれました。明るく誰とでも話せるその子は私にとっての救いにはなりませんでした。その子のいた仲良しグループに斎藤がいたわけで、そこまで心を許すこともできなかったものです。その子本人は誰とでも分け隔てなく接していただけなのでしょうが、斎藤と近しい子は警戒の対象でしかなかった。

他のクラスに数名友人ができました、それは純粋に救いでした。

とにかく虐めなんかに負けない、私は絶対に学校を休まないと意地になっていた私は、修学旅行さえも休むという考えがありませんでした。どこのグループも私を入れてくれるわけがないのに。そう思っていましたが、クラスのやんちゃなグループが修学旅行の時に仲間に入れてくれました。私と話せば話すほど「あいつらの話と違うじゃん」と渋面を作る彼女たちに何か?と尋ねましたが「知らないほうがいいよ」と言われました。斎藤たちの噂話があくまでも噂話で真実ではないと、違うということを私と直接関わったことで理解してくれたようで、ここでも救われた思いがしました。見た目だけで「怖い人たち」と判断していた自分を恥じました。修学旅行後も何かと一緒にいてくれた彼女たちには感謝しかありません。

こうして無事とは言えないまでも、卒業を迎えることができたわけです。やっと斎藤が私の世界からいなくなると思うと幸せでした。

短大に行きたがっていた斎藤が成績悪くて行けないのを尻目に短大に無事合格した時はすうっとしましたが、私が行きたかったのは短大ではなくて看護学校でしたから、左手が治っていれば、こんな手でさえなければと何度も悔しくて泣いたものです。