親と私の終活の話、時々自分語り

親が終活を始めたために悪戦苦闘する娘の話です。葬儀社のこと等、あまり表に出ないことについて書いてみようと思います。

遺産の話

祖父が亡くなった時はあっという間でした。

おしっこが出にくい、ということで病院に行ったそうです。そのまま緊急入院になりました。末期癌でした。全身への転移があり、原発部位を探すことも意味がないと。

仕事も放り出して慌てて祖父に会いに行くと、ベッドにぐったりと横たわる祖父がいました。病院まで元気に歩いてきたという話でしたが、入院した途端に気が抜けたのか、そこにはもう元気な祖父はいませんでした。腹水が溜まってパンパンになったお腹、体中に管という管が繋がれていました。末期癌であるという告知はしないということだったので、母が「早く退院してお酒飲もうね」と耳元で声を張り上げると、「ああ、飲みてえなあ」と弱々しい声での返事。私が祖父の声を聞いたのはそれが最後になりました。

祖父は炭鉱で働いていたこともあり、若い頃から相当に稼ぐ人であったようです。それ以上に金遣いも荒かったようですが、それでも遺産はそれなりにあったようでした。話の口火を切ったのは母でした。「誰も母さんを引き取れる状況じゃないんだから、金くらいは母さんに渡したらどうだ」と。長女である伯母がそれに同意したため、子供達は相続放棄をすることとなったわけです。

それから数年、私も母親になったとひ孫にあたる我が子の写真を祖母に送りました。すぐに電話がかかってきました。おめでとうまん丸くて可愛い赤ちゃんだね、というお祝いと、祖母の側に住んでいた叔母が祖母に睡眠薬を飲ませ金庫を漁ったという話と。祖母は後者の話をメインで話してきました。誰かに聞いて欲しかったのだと思います。数百万は取られたとのことでした。長男である伯父が怒り、叔母と殴り合いになった、伯父が祖母を自分のもとに引き取ると息巻いているということを聞かされました。なんてことになっているんだ、としか思えませんでした。祖父が生きていた頃は親戚全員が仲良くしていたというのに、お金が関わるとこんなことになるのかと。そして結果として祖母と話をしたのはこれが最後になりました。

祖母のことが気になりつつも自分のことで手いっぱいの日々。ある時、帰省すると母から「おばあちゃん、死んだらしいわ」と言われました。頭にはてなマークが飛び散りました。

死んだ「らしい」って何?

何故、亡くなる前に会えなかったの?急死だったの?

何故お葬式にも呼ばれなかったの?

伯父は事後報告してきたようでした。「母さん死んだから、葬式は終わらせといたから」と。そして当然、遺産についての話はなかったそうです。「施設に入れたから使い切った」と言っていたそうですが嘘でしょう。嘘でなければ事後報告する必要がない。

厳しく、誰も逆らうことを許さない、そんな祖父が我が一族のストッパーだったのです。祖父が亡くなった途端にやりたい放題しだした伯父や叔母の姿を、情けなく思ったものです。

子供が一人ならいいですが、そうでないのなら、遺言書というのは必要不可欠なものだと思いました。祖父母はそこらへんについては我が子を信じていたのでしょう、まさか揉めるなんて想像もしていなかったはずです。だから遺言書なんて用意もしてなかった。

お金が絡むと人は面白いほどに豹変する。いえ、本性が出るといったほうが正しいのでしょう。身内がそんな守銭奴だったとは思いたくありませんが、実際にこの目で見てしまったので金が人を狂わせるというのは事実なのだなと私は言うしかありません。

遺言書は用意すべきだなと、二人の子供がいる私は思うわけです。遺せるものなど大してありませんが。