親と私の終活の話、時々自分語り

親が終活を始めたために悪戦苦闘する娘の話です。葬儀社のこと等、あまり表に出ないことについて書いてみようと思います。

ホテルの話再び

実家の惨状を知った、地元が同じ方からも「真冬はキツい」と言われまして、まあ確かに不安しかないしなあというわけで、カプセルホテル予約しました。3泊のうち真ん中の1日だけが満杯でしたので予約は取れませんでしたが、その日はネカフェに行くことにします。完全個室希望ですがそれ以外でもどうにかなるでしょう、1日だけですし。基本的には寝たいですが、昔のように夜通しインターネットやってもいいわけですしね。残り2日は布団で寝れるというのが何より安心です。

カプセルホテル、インターネットで予約取れればかなり安かったんですがもう空きがなかったので、ダメ元で電話したら2日は空いてました。その代わり金額もネット予約の倍になりましたけどそれでも安いことに変わりないですしね。

とんでもない強行軍になりますが、まあ楽しんできます。一人なので気ままに見て回ってきます。小樽行けるかなあとワクワクしてます。ただ、小樽なんて20数年は行ってませんし、方向音痴なんですよね、私。一人で観光できるのかどうかが怪しすぎて札幌から出ないかもしれませんが。

実家には1泊もしなくて済むというのは気が楽になりましたし、荷物も楽になりました。キャリーバッグ必要ないかもしれませんね。

ホテルの話

帰省でホテルに泊まる気でしたが、なんとまあ評判が悪くてですね。キャンセル料かかる前にサクッとキャンセルしまして。さて、どうしようとなっているところです。

家から掛け布団を無理矢理にキャリーバッグ に詰め込んで帰省するという強引な方法を取ろうとしております。試してみたら幸いにも布団はなんとか入りましたので。他のものは何も入らないですが。

実家にある煎餅布団も2枚くらい重ねれば何とかまともに寝れるのではないかと安易な考えでいます。もしダメならネカフェに行けばいいかなと。初めての一人旅、このくらいの無謀はたまにはいいでしょう。問題は真冬だということだけなんですよね、氷点下の中でどこまで快適に寝られるか。実家よりネカフェのほうがまともそうだというのは笑うしかないですが。

3泊しますが、2泊にしとけばよかったかなと、なんなら日帰りでもよかったかなと思うくらいに実家の居心地が悪くなってしまっているのは悲しいことです。ただでさえ日々の生活に手一杯で頻繁に帰省する余裕がないのですが、居心地が悪すぎてますます足が遠のきます。

母が終活と騒ぎ出してから数ヶ月、色々調べて今から憂鬱になっているわけで、その憂鬱さを吐き出したくて書き始めたblogですけども、母に残されている時間を思えば年1くらいで帰ってくるのが理想なんでしょうけど、そうもいきません。布団がなくて眠れないというのは「帰ろう」とは思えなくなる理由としては十分かと。煎餅布団はダンボールよりマシ、という程度でしたから、本当に。

3泊全部ネカフェでもいいかとも思ったのですが、泊まれなかったら困るので一応布団持参しますが、まさかこんな状態で帰省するとはなかなか面白い事態になりました。

二度と泊まりでは帰らないぞという決意をすることになるのではないかと感じている今回の帰省です。どうなることやら。

今回は終活の話で母に徹底的に念を押してきたい件がありますが、何はともあれ風邪を引かずに帰ることを目標にしたいと思います。

12月の話

帰省する予定なのですが、実家に泊まらずにホテルに素泊まりすることにしました。

夏に帰省した際、布団はなく長座布団に寝る有様でして。しかも使い古された煎餅布団、床の感触がダイレクトに伝わってきまして、寝返り打つ度に目が覚め、なかなかに辛かったのです。眠剤を常用している私でさえ満足に眠れなかったので、息子たちは尚更でした。帰宅してから「背中痛くない」と言って安心したように寝ていた姿を見ると、母の家はもうそう簡単に帰れる場所ではなくなってしまったなあという感想です。実家なんですけどね。

冬の帰省、夏に満足な布団がなかったのですから当然今回もないでしょう。夏はまだどうにかなりましたが、冬です。敷布団がないってことは掛け布団もないってことで、これは実家で寝ると風邪をひくなと。で、素泊まりできるホテルを予約するに至ったわけです。実家に帰省するのに何故ホテルなのかと我ながら疑問ですが、もう誰かを迎え入れる環境ではない母の家なので諦めました。おそらく母にはギャンギャン「金の無駄遣い」などと言われるでしょうが、氷点下の札幌で、ストーブも使わずに暮らしている母の部屋に3泊するのは自殺行為です。昼間、母と話をして夜にはホテルに行くという形を取りたいと思います。

一人暮らしの母ですから、いつ帰ってくるかも分からない私たちのために布団一式を用意しておいてというわけにもいきませんしね。置き場もありませんから仕方ないのですが、長座布団に寝させられるのは流石にしんどい。夏でも辛くて仕方なかったのに、冬場に寝られる部屋ではありません。布団一式買っても良かったのですが、置き場がなく邪魔になりますし。夏の帰省も8年ぶりだったのですが、息子たちが再来年には揃って社会人になります、今後は帰省できる頻度がまた数年に一度になりそうですから(それどころか家族揃って帰省できるかどうかも怪しい)布団を買って置いてもらうというのは現実的ではないのです。

というわけで布団の話でここまで語れると思いませんでしたが、今回は母の終活についての話をしたくて私一人での帰省ですから、やっすいホテルを予約しまして。一人だからネカフェでもいいかと思ったのですけど、やっぱり布団で寝たいなと。

一人旅というのは実は初めてでして、母の終活の話がメインでなければ奮発していいホテルに泊まりたいところでしたが、まあ今回は値段重視でホテル選びしました。

終活が電話でも手紙でもこちらの言い分が伝わらずにイライラしての帰省なので、喧嘩にならないかだけが心配です。私も息子たちが大きいいい歳した母親ですが、母には娘として言いたいことが山のようにあるので。

直らなかった話

天井ですが、まあ確かに来た当日にトンテンカンテンと直すわけもなかったですね。

剥がれた箇所の確認や外壁の確認をして、「オーナーさんと話をしてからになります」とのことでした。ですが、ちゃんと直しますと仰ってくれたので安心しました。業者さんも雨漏りの修繕義務はオーナーにあることくらいはご存知なのでしょう、プロですからね。

しかし、我が家は築の古いアパート(規模的にマンションかもしれない)になるのですが、業者さんお二人の話を聞く限り、もしかしたら建ててから今まで外壁の修繕など一度も入っていなかったのかもしれません。

「全部ダメ」「これ、4階(我が家は3階)も写真撮りたいですね」「上もダメになってるだろうな」と不穏な発言が満載で、結構傷んでる様子が感じ取れました。オーナー次第ではありますが、我が家の部屋の周辺の外壁だけを直して済ますのか、建物全体の外壁を直してしまうのか、どちらかで修繕が終わる時間も変わりそうです。いっそのこと全体のメンテを入れたほうがいいのではと思いますが、そこらへんはオーナーさんにかかってくるので何とも言えません。保険とか入ってるでしょうし、直すのにそこまで金銭的な問題は発生しないと思うのですが、こればかりはただの貸借人には分かりませんし。

さて、後はいつになったら修繕が始まるのかですね。オーナーさんと管理会社、業者さんが関わってくるので、私たちは黙して待つのみですが、とりあえず隙間風入ってくるので早めにお願いしたい。今の所寒くはないんですけど、これから本格的に寒くなりますからね。

このところの話

台風で被害を受けた壁紙ですが、やっと直るようです。本日、業者さんが来るとのことで。隙間風も入ってきているので、本格的に寒くなる前に天井が直るのは何よりです。

オーナーサイドに修繕義務があると分かっていたので、直してもらえるのは確実でしたから待つことは苦ではなかったのですが、長くかかったのは、最初に頼んだ業者に断られたりしていたからのようです。手一杯で断られたと管理会社の担当の方は仰ってましたが、正直どうなのかなと思っています。長く壁のひび割れを放置した上での今回の被害、正直最初に頼んだという業者さんは「手に負えない」と思ったのではないのかなと勘繰ってしまいます。写真を見ただけで酷い有様なのは分かりますからね。

外壁から直すとの話でしたが、1日で外も中も直るものなのか。室内だけの修繕なら、それできちんと直るものなのか。疑問は山のように湧いてきますが、とりあえず業者さんが来てくださるのでどのように直していくのかを見させていただこうと思います。

我が家、三段ベッドがあるので作業は大変そうですが、大丈夫なのかな。

遺産の話

祖父が亡くなった時はあっという間でした。

おしっこが出にくい、ということで病院に行ったそうです。そのまま緊急入院になりました。末期癌でした。全身への転移があり、原発部位を探すことも意味がないと。

仕事も放り出して慌てて祖父に会いに行くと、ベッドにぐったりと横たわる祖父がいました。病院まで元気に歩いてきたという話でしたが、入院した途端に気が抜けたのか、そこにはもう元気な祖父はいませんでした。腹水が溜まってパンパンになったお腹、体中に管という管が繋がれていました。末期癌であるという告知はしないということだったので、母が「早く退院してお酒飲もうね」と耳元で声を張り上げると、「ああ、飲みてえなあ」と弱々しい声での返事。私が祖父の声を聞いたのはそれが最後になりました。

祖父は炭鉱で働いていたこともあり、若い頃から相当に稼ぐ人であったようです。それ以上に金遣いも荒かったようですが、それでも遺産はそれなりにあったようでした。話の口火を切ったのは母でした。「誰も母さんを引き取れる状況じゃないんだから、金くらいは母さんに渡したらどうだ」と。長女である伯母がそれに同意したため、子供達は相続放棄をすることとなったわけです。

それから数年、私も母親になったとひ孫にあたる我が子の写真を祖母に送りました。すぐに電話がかかってきました。おめでとうまん丸くて可愛い赤ちゃんだね、というお祝いと、祖母の側に住んでいた叔母が祖母に睡眠薬を飲ませ金庫を漁ったという話と。祖母は後者の話をメインで話してきました。誰かに聞いて欲しかったのだと思います。数百万は取られたとのことでした。長男である伯父が怒り、叔母と殴り合いになった、伯父が祖母を自分のもとに引き取ると息巻いているということを聞かされました。なんてことになっているんだ、としか思えませんでした。祖父が生きていた頃は親戚全員が仲良くしていたというのに、お金が関わるとこんなことになるのかと。そして結果として祖母と話をしたのはこれが最後になりました。

祖母のことが気になりつつも自分のことで手いっぱいの日々。ある時、帰省すると母から「おばあちゃん、死んだらしいわ」と言われました。頭にはてなマークが飛び散りました。

死んだ「らしい」って何?

何故、亡くなる前に会えなかったの?急死だったの?

何故お葬式にも呼ばれなかったの?

伯父は事後報告してきたようでした。「母さん死んだから、葬式は終わらせといたから」と。そして当然、遺産についての話はなかったそうです。「施設に入れたから使い切った」と言っていたそうですが嘘でしょう。嘘でなければ事後報告する必要がない。

厳しく、誰も逆らうことを許さない、そんな祖父が我が一族のストッパーだったのです。祖父が亡くなった途端にやりたい放題しだした伯父や叔母の姿を、情けなく思ったものです。

子供が一人ならいいですが、そうでないのなら、遺言書というのは必要不可欠なものだと思いました。祖父母はそこらへんについては我が子を信じていたのでしょう、まさか揉めるなんて想像もしていなかったはずです。だから遺言書なんて用意もしてなかった。

お金が絡むと人は面白いほどに豹変する。いえ、本性が出るといったほうが正しいのでしょう。身内がそんな守銭奴だったとは思いたくありませんが、実際にこの目で見てしまったので金が人を狂わせるというのは事実なのだなと私は言うしかありません。

遺言書は用意すべきだなと、二人の子供がいる私は思うわけです。遺せるものなど大してありませんが。

葬儀社の話

さて終活の話。

話が行きつ戻りつしていますが、その時に感じたことをそのまま書いているので申し訳ありません。

最終的には5社程度にまで絞り込んだ葬儀社ですが、意外と説明が足りていないところがあります。

私がたまたま電話で尋ねた葬儀社では、直葬プランは24時間火葬場の冷蔵庫での安置になる、ドライアイスは必要ないが1時間100円の使用料がかかると説明がありましたし、そもそも死亡届を出してから火葬許可証をもらわないと火葬場へは行けないので、市役所の手続きなどを考えると病院から火葬場へ行くのは時間的に難しい場合もあるのでということで一日葬プランを勧められました。母の住んでいる地域は火葬場が友引は休みになるので、万が一友引に亡くなるとますます難しくなってしまうとのことで。

そういうことに一切触れていないで「直葬プラン10万」と出してきているところがあります。確かに別料金がかかるケースがあるとは書いてありますが、市役所での手続きが済まないとまず火葬場へは行けない、しかし亡くなった後に各種解約手続きなどで必要になる死亡届のコピーは取りに行かなくてはならない、となると正直時間的に直葬というのは難しいのかなというのが数社から話を聞いて感じたところです。

病院では亡くなった後は基本的に1時間程度で出て行ってほしいところが多いようですし、そうすると一日葬にしてまずは斎場に搬入してもらうのが現実的なようです。

段々と動き方が分かってきたところですが、それに伴って憂鬱な気分も増してきました。

まだ入院もしていない母ですが体調は悪いので、あれこれと悪いことばかり考えてしまうものです。

冬の帰省で少しは母と話を詰められるといいのですが。